ヒグマの恐ろしさを淡々と語る

1: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:00:47 ID:QZq
北海道は朝の3時半には日が出て明るくなり始める。
ヨガ明宝ヒグマの怖さを淡々とはっていくで!
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2: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:02:20 ID:QZq
石狩沼田幌新事件

石狩沼田幌新事件とは、大正12年(1923年)8月21日の深夜から8月24日にかけて、北海道雨竜郡沼田町の幌新地区で発生した、記録されたものとしては日本史上2番目に大きな被害を出した獣害事件。
ヒグマが開拓民の一家や駆除に出向いた猟師を襲い、4名が死亡、3名の重傷者を出した。
3: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:04:12 ID:QZq
8月21日
大正12年8月21日、沼田町内の恵比島地区で、太子講の祭りが開催された。
日ごろ娯楽も少ない開拓地ゆえ、余興で上演される浪花節や人情芝居を目当てに、近隣の村落から多くの人々が詰め掛けた。

最初の襲撃
村民を熱狂させた祭りも午後11時半頃にはお開きとなり、幌新地区の支線の沢や本通筋から祭りに参加していた一団も、夜の山道を家路へと急いでいた。
一行が幌新本通りの沢に差し掛かった頃、小用のため50mほど遅れて歩いていた林謙三郎(19)が、突然現れた巨大なヒグマに背後から襲われた。
しかし、まだ若い彼は死力を尽くして暴れ、帯や着物を裂かれながらも何とか脱出に成功する。
そして恐怖に怯むこともなく、前方を歩く一団に急を知らせた。
一方、先回りしたヒグマは一団の先頭部を歩いていた村田幸次郎(15) を撲殺し、幸次郎の兄・由郎(18) に重傷を負わせると、彼を生きたまま土中に埋めた。
そして、幸次郎の遺体を腹部から食い始めた。
4: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:06:02 ID:jDA
こわe

引用元

5: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:06:46 ID:QZq
暗闇の念仏
パニックに陥った一団は、そこから300mほど離れた木造平屋建ての農家・持地乙松宅に逃げ込み、屋根裏や押入れの中に身を隠し、囲炉裏にガンピ(シラカバの皮)を大量にくべて火を強めるなどしてヒグマに立ち向かう手はずを整える。
やがて30分ほど経過した頃、件のヒグマが幸次郎の内臓を食いつつ持地宅に現れ、ガラス窓から屋内を伺い始めた。
家人は座布団や笊などを投げつけて追い払おうとしたところ、ヒグマは玄関に回ろうとする。
村田兄弟の父親・三太郎(54) は入れるまいとして必死になって戸を押さえていたが、ヒグマは戸を三太郎ごと押し倒し、屋内に侵入した。
三太郎は咄嗟にスコップを構えて立ち向かったものの叩き伏せられ、重傷を負った。
ヒグマは囲炉裏で盛んに燃え上がる火を恐れることもなく踏み消し、部屋の隅で恐怖に震えていた母親・ウメ(56)を咥え上げると、そのまま家を出ていこうとする。
三太郎は自らの深手も忘れ、半狂乱になってヒグマをスコップで打ち据えるが、意に介すこともなく向かいの山中へとウメを引きずっていく。
ウメが助けを求める叫び声が2、3度響いた後、かすかな念仏が何度も続けて聞こえてきたが、それも次第に遠ざかり、夜風に吹き消されてしまった。
6: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:07:29 ID:QZq
8月22日
妻子を奪われた三太郎はじめ、避難民らは心身ともに苦痛に苛まれ、焦燥に駆られるばかりだった。
しかし銃の備えもない農家ゆえ、屋内に閉じこもってわが身を守る以外に打つ手は無い。
むなしい思いの中で22日の朝がきたところで、事情を知らない村民が持地宅のそばを偶然通りかかった。
屋内の一団は大声で助けを求め、すでにヒグマが去ったことを聞きつけた上で戸外へとまろび出た。
近隣の藪の中で下半身をすべて食われたウメの遺体が見つかり、土中に埋められた由郎も発見。
まだ息があったため由郎は直ぐさま沼田市街の病院に送られたが、結局病院で死亡した。
7: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:08:21 ID:QZq
8月23日
山中に消えた狩人

22日のうちに、惨劇は沼田町全域に知れ渡った。
翌23日には、熊撃ち名人として名高い砂澤友太郎をはじめ雨竜村(現在の雨竜町)の伏古集落在住の3人のアイヌの狩人が応援に駆けつけた。
そのうちの1人・長江政太郎(56)は凶悪なヒグマの話を聞きつけて憤慨し、「そのような悪い熊は、ぜひとも自分が仕留めなければならない」と、周囲が止めるのも聞かず単身でヒグマ退治に赴いたものの、山中で数発の銃声を響かせたきり行方知れずとなった。
8: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:08:34 ID:ALp
ヒグマと格闘して勝つジジイたまにいるけどほんとすげ
9: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:09:48 ID:QZq
ヒグマの最期

24日。在郷軍人、消防団、青年団など総勢300人あまりの応援部隊が幌新地区に到着した。
さらに、幌新、恵比島の集落民のうち60歳未満の男子が残らず出動し、村始まって以来のヒグマ討伐隊が結成された。
ところが、一行が山中に分け入ってまもなく加害ヒグマが現れ、討伐隊の最後尾にいた上野由松(57) が一撃で撲殺された。
ヒグマは折笠徳治にも重傷を負わせ、咆哮を上げつつ別の討伐隊メンバーに襲いかかろうとしたが、現役除隊間もない軍人が咄嗟に放った銃弾が命中。
さらに鉄砲隊が一斉射撃を浴びせたことにより、凶悪なヒグマもついに斃された。
この現場のすぐそばで、23日に行方不明になっていた長江政太郎が、頭部以外をすべて食い尽くされた状態の遺体として発見された。
ヒグマが討ち取られた時点で、村田幸次郎、村田ウメ、長江政太郎、上野由松の計4人が死亡し、村田由郎、林謙三郎、村田三太郎、折笠徳治の4人が重傷を負っていた。
加害クマは、体長2m、体重200kgの雄成獣だった。
解剖の結果、胃からは大きな笊一杯分にも及ぶ人骨と、未消化の人の指が発見された。
11: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:10:52 ID:QZq
その後

このヒグマの毛皮は幌新小学校に保存されていたが、昭和42年(1967年)に幌新小学校が廃校になった後は幌新会館に移され、現在では沼田町郷土資料館に展示されている。
また、重傷を負った林謙三郎は、その後一度も山に入らなかったという。
なお、事件の舞台である幌新太刀別川上流部では、その後炭鉱が開発された。
それに伴って山中に2千人以上の人口を有する小都市が生まれ、恵比島駅を基点とする留萠本線の支線・留萠鉄道も開通して大いに栄えた。
しかし昭和40年代の炭鉱閉山と共にゴーストタウンと化し、現在では幌新ダム貯水池の底に沈んでいる。
12: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:12:12 ID:QZq
札幌丘珠事件

札幌丘珠事件とは、1878年(明治11年)1月11日から1月18日にかけて北海道石狩国札幌郡札幌村大字丘珠村(現:札幌市東区丘珠町)で発生した、記録されたものとしては日本史上4番目に大きな被害を出した獣害事件。
冬眠から理不尽な形で目を覚まされたヒグマが猟師や開拓民の夫婦を襲い、死者3名、重傷者2名を出した。
13: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:12:52 ID:QZq
事件の経緯
石狩国札幌郡札幌村大字丘珠村(現:札幌市東区丘珠町)で起きた獣害事件である。
現在の札幌市は人口200万人弱と東北以北最大の都市であるが、事件当時は和人の定住者が現れてから20年あまり、市街地の整備や農地の開墾は急ピッチで進められていたものの、市域を少し出れば原始そのままの大森林や草原に覆われていた。
人口は、現在の札幌市中心部にあたる「札幌区」で3000人、後に札幌市に組み込まれることになる周辺の農村すべての人口を合計しても、8000人に満たなかった。
14: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:13:18 ID:CeM
ヒグマほんとこわいわ
山の近くにすんでなくてほんとよかった
15: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:13:46 ID:QZq
第一の事件

1878年(明治11年)1月11日、爾志通(現在の札幌市中央区南2条)在住の猟師・蛭子勝太郎が郊外の円山山中で、冬眠中のヒグマを発見する。
早速狩ろうと試みたものの撃ち損ねてしまい、逆襲を受けた勝太郎は死亡する。
理不尽な形で冬眠を覚まされたヒグマは、飢えて札幌の市街地を駆け抜けたため、17日、札幌警察署警察吏の森長保が指揮を執る駆除隊が急遽編成された。
同日、豊平川の川向こうに当たる平岸村(現:札幌市豊平区平岸)で件のヒグマを発見し、追撃を開始する。
しかしヒグマは月寒村(現:豊平区月寒)、白石村(現:札幌市白石区)と逃走。
再度豊平川に向かうルートを取ったため、駆除隊も雪上に残る足跡を頼りに後を追う。
そして再度豊平川を渡り、雁来(現:札幌市東区東雁来)までは確認したが、猛吹雪のため見失ってしまった。
これらの地は現在でこそ一面の住宅街だが、当時は畑が拓かれ始めたばかりの大森林地帯だった。
17: 以下、からお送りします 2016/07/09(土)04:15:46 ID:QZq
第二の事件
犠牲になった堺一家の家屋は、俗に「拝み小屋」と呼ばれる形式の簡素な小屋だった
札幌区の北西部・丘珠村(現:札幌市東区丘珠町)。
アイヌ語の「オッカイ・タム・チャラパ」(男が刀を落としたところ)を地名語源とするこの地は後に伏籠川の自然堤防が育んだ良質な土壌を生かしたタマネギ栽培で名を成すことになるが、やはり当時は古木が延々と連なる森林地帯であった。
その中に細々と拝み小屋を結ぶ数百人ほどの村民たちは、その多くが札幌区に売り出す木炭の製造で生計を立てていた。
明治6年ころこの地に入植した堺倉吉も、そのような開拓民の一人であった。
妻・リツと周囲の村民同様に寒風舞い込む拝み小屋の生活に耐えつつ、炭を焼いては札幌区に売り出す生活に勤しむ。
やがて夫妻には待望の長男・留吉が生まれ、貧しい生活にも燭光が灯りつつあった。
17日深夜、円山から白石、そして雁来へと逃走を重ねた件のヒグマが、突如として堺一家の小屋を襲ったのである。
異変を察知して起き出した倉吉は、筵の戸を掲げたところで熊の一撃を受けて昏倒する。
妻・リツは幼い留吉を抱いて咄嗟に逃げ出したものの、後頭部にヒグマの爪を受けてわが子を取り落してしまう。
リツは頭皮をはぎ取られる重傷を受けつつも村民に助けを求めるが、その間にヒグマは雪原に投げ出された留吉を牙に掛けていた。
結果として倉吉と留吉が食い殺され、リツと雇女は重傷を負った。
18日昼、件のヒグマは駆除隊によって付近で発見され、射殺された。
駆除に功のあった佐々木直則、渋谷永貞、武田守約の3人には、日当50銭のほか特別手当として2円が支給された。
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