エホバの3世だけど、半生を綴るね

2: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 01:15:55.62 ID:AwEZSc9z0
書き溜めはしていなくて、思いつきなのでゆっくりだがよかったら付き合ってほしい
4: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 01:21:54.53 ID:AwEZSc9z0
1980年代に生まれた。
親はどちらもエホバの証人で二世だった
父方は熱心、母方は母子家庭で祖母と母二人暮らしだった

父と母は宗教関連の集まりで知り合ったらしい
なぜ結婚したのかと問えば、二人とも即答で「顔」というような夫婦だ
といっても自分には母の記憶はない
母はわたしが二歳の時に出奔した
上の内容は俺が大人になってから聞いたことだ

俺は父に引き取られ、父は別居と同時に実家に帰り、叔母、祖父母と共に暮らすことになる
全員熱心なエホバ信者で、それは地獄の幕開けでもあった
6: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 01:26:42.93 ID:AwEZSc9z0
週に3回の集会、朝から夕方まで三分制の奉仕という名の布教活動、アニメ漫画など子供が好むもの一切の禁止、幼稚園保育園などは悪い考えを持つからと通うことを許されず、宗教活動と家の庭で土遊びをしたり、親の洗車を手伝うなどして、俺はあっという間に五歳になった
俺の学校をどうするかなど家族会議が開かれる中、父は突然言い放った
「母の住む街に戻る」と
7: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 01:31:46.08 ID:AwEZSc9z0
当時、我が家で絶対の発言権を持っていたのは父だったため、それは鶴の一声となり、俺、父、叔母(私たちの世話をするため白羽の矢が立った)の3人で、昔いた街へ戻ることとなった

父と叔母はかなり都市が離れていたため、当時叔母はまだ未成年だった
16歳からずっと俺の母代わりをしてくれていたことをこの歳になって今更申し訳なく思うが、当時の状況にはそんな気持ちなどなく、まあ大好きな叔母とならなんでもいいやと思っていた
10: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 01:36:09.32 ID:AwEZSc9z0
そうして俺は、俺にとっては見知らぬ街で晴れて小学一年生となった
入学式には父が来てくれた
みんなはお母さんなのになとちょっと変な感じはしたけれど、まだ父も若くて自慢の父だったので、そんなに気にしてはいなかった

ただ当時の環境、自分の家庭環境がそんな甘い気持ちを打ち砕くようにすぐに俺に襲いかかった
92: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 17:22:44.41 ID:TTon07DXa
おもしろい

引用元



11: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 01:41:26.00 ID:AwEZSc9z0
ある日クラスの女子に「田中(俺の仮名)はなんでお母さんいないの」と聞かれた
初めて聞かれた質問で俺は面食らった
今まで周りにいた数少ない子供は、全員宗教関連の友達で、親同士仲良いためそんなことは聞かれたことがなかったからだ
だから俺はありのまま答えることにした
「離婚した。お母さんは俺が二歳の時に出て行って会ってない」
そしたら、その子(仮に山田とする)に「悲しくないの」と聞かれた
咄嗟に口をついて出たのは「もう昔だし」の一言だった
それがよくなかった
13: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 01:46:07.74 ID:AwEZSc9z0
途端、山田は俺を汚物を見るような表情で言った
「お母さんいないのに平気とかおかしーい」
本当にこう言った
周りの子も、同情とも蔑みとも取れない顔を浮かべて山田に同調した
俺の頭は真っ白になった
俺だってお母さんにいてほしかった
みんなお母さんがいるのに俺にいないのはなんでって聞きたい気持ちをずっと飲み込んで来た
父や叔母を悲しませたくなかったから
だから俺は爆発した
気づいたら山田を組み伏せて泣かせてしまっていた
俺はその一件で入学早々孤立することになる
14: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 01:53:23.16 ID:AwEZSc9z0
エホバの証人には学校生活にも様々な制約がある
国歌、校歌を斉唱してはいけない、騎馬戦に参加してはいけない、格闘技は見学、給食の際の合唱はダメなど、微に入り細に入り様々な決まりがある
信仰心など微塵もなかった当時の俺だが、破った場合の折檻が恐ろしく、最初は割と忠実に守っていたと思う
ちなみに折に触れて行われていた折檻とは、馬跳びの馬のような姿勢となり裸のまま尻を突き出す姿勢を自ら取り、父に革ベルトで鞭打たれるというものである
父もヒートアップして乱打するため、尻にとどまらず、背や太ももなど全体的にミミズ腫れになるのが常であった
父や叔母はそれを愛の鞭と呼んだ
15: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 01:59:56.16 ID:AwEZSc9z0
当時の自分がどういう気持ちだったかはあまり覚えていないのだが、父や叔母を怒らせないようにしたいとは強く思っていたと思う
ただ、楽しみは一切禁止、禁止事項はてんこ盛り、体罰や学友からの爪弾きなど幼い俺にはすべてを受け止めることなどどだい無理だった
まずはチック症状が始まった
深爪になって血が流れるまで手足の爪をかじり切った
父と叔母は、手にはばい菌がいるんだからやめなさい~足なんてもってのほかよ(笑)」といったかんじで、特に止めもしなかったので、その後自力で家を出るまで、常に手の爪はありえない深爪で肉が見えていた
それでも宗教活動は度を増すばかりで、奉仕時間もどんどん増やされ、今度は問題行動を起こすようになった
16: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 02:05:54.14 ID:AwEZSc9z0
今更ではあるが、俺は一度もエホバを信じたことがない
集会で皆が神への祈りを捧げている間も、俺は幼いながらに必死に神への呪詛を吐き続けていた
そんな俺だったから本当に宗教活動は苦痛でしかなかった
相変わらず学校では仲間はずれで、だから俺は黒板に絵の具で消えない落書きをしてみたり、縄跳びで首吊り未遂をしたり、コンセントにピンセットをコンセントに挿して死のうとしたり、学友の物を隠したり、ありとあらゆるイタズラをした
死にたかったのは本当だけど、死ぬ勇気はなかったと思う
ただ、誰かに俺を見てほしかった
17: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 02:13:08.72 ID:AwEZSc9z0
2ちゃんは10年くらいずっと見てたんだが、書き込むのは初めてで、不手際があったら許してほしい
レスがつかないから何かやらかしてるんじゃないかと今更少しびびってるw

続き
エホバの中では、俺は優等生で通っていた
注解(挙手して意見を述べる)も積極的にするし、親の期待にちゃんと答えた
父はいつのまにか、宗教内で奉仕の僕という役職が付いていた
元々奉仕の僕だったらしいが、母との離婚でおろされたらしかった(離婚はご法度、別居から5年粘ったが、母に離婚してくれなきゃ死ぬと脅され、しぶしぶ判をついたらしい。後に知る)
父の期待には応えたかった
だが、エホバの証人でいるのは苦痛だった
打ち明けるたびに鞭でしこたま叩かれ、いつしかあきらめた
18: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 02:18:32.43 ID:AwEZSc9z0
ならばと、俺は二面性のある生活を送ることにした
小学3年生くらいだろうか
宗教関連の友人の家で多重人格障害の本を読んだ
たぶんそのこの母親の本だと思う
24人のビリーミリガン?タイトルはうろ覚えだが、そんなやつだ
俺は心底そいつに憧れた
だって痛い時、苦しい時に代わってくれる奴がいるから
俺が鞭で皮膚を切り裂かれても、クラスメイトに気味悪がられていつもひとりぼっちでも俺はいつも俺だった
誰も代わってくれなかったから
19: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 02:22:25.67 ID:AwEZSc9z0
だから、ある日鞭打たれる時多重人格障害の真似をしてみた
不謹慎ですまん
ガキの俺はただ逃げたくてやったんだ
あの時もこれからもそういう病気で苦しんでいる人たちをバカにするつもりはない
父は苦笑して、容赦なく鞭を振り下ろしたw
今にして思えば当たり前なのだが、俺は万策尽きたと絶望を感じていたw
鞭打たれるのは本気で辛かったし、その時の父は獣じみていてこわかった(叔母は空気)
20: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 02:31:04.17 ID:AwEZSc9z0
俺は俺でこの人生を生きていかないといけないとそう悟ったのが、我ながらおかしいがその瞬間だった
ならばと今度は自殺を考え始めた
そんな折、叔母がメル友の男と駆け落ちした
親や祖父母は知っていたらしいが、俺には青天の霹靂だった
1000キロ離れた地に行ったらしい
叔母は、俺にとって母であり姉であり世界の全てであった
父の絶対的な権力の前に、俺を庇うことはできずとも抱いて眠ってくれた夜もあった
まさに俺の太陽だったのだと思う
そんな人が俺に一言も残さず消えた
俺の世界は完全に砕け散ったと思った
21: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 02:37:34.25 ID:AwEZSc9z0
1度目の母は物心なく消えたから、本当にあきらめがついていた
2度目の母はあきらめきれずとも、母ではないことが理解できていた
俺はどうしようもなくガキで無駄に大人だった
父と二人暮らしが始まった
自殺願望は相変わらずだったが、父を殺したいという気持ちがそこに加わった
父がいじめるから叔母が家出したのだと、そう思いたかったのだ
団地の5階から帰宅する父(車のエンジン音が判別できた)の頭上に包丁を投げ落として自分も身投げしようとして思いとどまる日々が続いた
思いとどまったのがなぜかと言われれば、こわかったのか父が好きだったのかそれはわからない
ただ実行しなかったというのが事実である
22: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 02:44:33.71 ID:AwEZSc9z0
父はちょうどその頃夜勤の配送業で家を開けることが多かった
初めて深夜のテレビを見た
トゥナイト2、快感フレーズ、あとソフィアのライブCMでミサイルが流れていてその3つを鮮明に覚えている
父がいない時間に見る深夜のテレビが俺の唯一の癒しだった
俺もクラスメイトと変わらない暮らしが初めてできた気がした
食事はキムチとかインスタント焼きそばとか適当に家にあるものを勝手に食べた
インスタント焼きそばは俺が火を使うのを許されていた数少ない料理だったのでかなりヘビロテしたw
食べるものがないということはなかった
宗教関連の人が差し入れしてくれたり、祖父母がたまにきたりしてたから
23: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 02:51:06.05 ID:MONKJvEv0
最近法律勉強してて、輸血禁止とか武術格闘技禁止とかこんな人らおるんやあ思ったら日本にもおるんやな
25: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 02:53:59.51 ID:AwEZSc9z0
>>23
拙い文章だが、そういう人にもぜひ実例として知ってほしい
24: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 02:51:43.93 ID:AwEZSc9z0
そんな二人暮らしが一年ちょっと続いたある日、唐突に叔母が帰ってきた
俺は中学生になっていた
後に知ることだが、叔母のいない一年間に俺が起こした問題行動(初めてキレて親、祖父母を殴り首を絞めた、万引きなど外での非行など)に恐れをなした父、祖父母が叔母を呼び戻したらしい
ちなみに親の首を絞めた件は、また全身鞭打たれミミズ腫れにされたときに、警察とか先生に言うって受話器を持ったら電話線抜かれてそうはさせないって羽交い締めにされて、ああこいつら悪い事って認識はあるんだなって思ったら、積年の恨みでもう止まらなくなってしまった)
26: 以下、からお送りします 2017/11/30(木) 02:59:51.93 ID:AwEZSc9z0
親や祖父母としては、叔母が戻れば万事解決だと思ったのだろう
ガキの俺はそうはいかなかった
一年少しとはいえ俺を置いて消えた事、異性と暮らしていた事、俺はそれを許せるほど大人じゃなかった
叔母には何も言わなかったが友達のような距離感で接した
叔母も以前のように母のように俺を叱ったりはしなかった
この頃から俺を大人として見始めたのか断片的に自分のことを語ってくれるようにもなった
  • このエントリーをはてなブックマークに追加



まとめ連合



You may use these HTML tags and attributes: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)